7月 282015
 

私たちは魂として一つだった。
一つならばあなたと私の間には
何の境界線も城壁もないはずで、
完全に理解を超えた理解が在る。
それは感動そのものだ。

しかし現実は私とあなたは違う。
個性と呼ばれる偏見と差別により、
理解を邪魔する隔絶が厳然と横たわる。
それがこの世界のすべての問題を作り出している。
歴史を調べれば
人は相も変わらず同じように苦しんでいる。
愚かしいばかりだ。

「私たちがなぜ生まれるのか?」

すべては一なる魂を知り会得するため。
理解の果てにたどり着く境地は
偉大なる全という大霊との統合。
それが我らの生きる意味だ。

それに至る方法は単純かつ複雑なもの。
肉として誕生し、
苦楽を味わい、
不足があれば再度生まれ変わる。
これを繰り返すしかない。

知識人は嘆く。
理解はできない、
人と人とは分かり合えない、と。
そう言っている内はまだまだ経験が足りない。
さまざま境遇の下に転生しよう。
いいじゃないか、魂は不滅なのだから。

先人なるイエスは完全に人類を理解した。
人が犯したすべての所業を受け止めた。
なぜなら神は感動そのものであり、
感動は経験からによるものだから。

“悪魔の誘惑”はどんなに苛酷だったろう。
私には耐えられない。
幼い魂である私は発狂するだろう。
まだ近づけてくれるな。

私の内部には神が在る。
あなたの内部にも同じ神が在る。
その神には魂の経験の歴史がすべて治められている。
ならば我らが理解することは十分可能ではないか。
というよりも
そうあらねばならないのだ。