4月 222014
 

私が大学生の時、
ゼミを受けている同じクラスメイトが自殺した。
その時K教授(当時70歳前)と死について議論したことがある。
K教授の要点はこうです。

人は死んだら無になる。(睡眠時のように)
人生には意味も目的もない。
どうせ無になるなら人はどんな悪事を働いても平気だが、
それでは人類の存亡は危機に陥り、
法律や道徳概念を作り出してそれを阻止した。

私は五木寛之さんも同じことを言っていますよと彼に告げたら、
その人のことは知らないがそれが一般的な考えだよと答えられた。

「無なのにも関わらずなぜ人(先生)は生きたいと思うのですか?」
とは私は聞けなかった。
なぜってもう70歳を前にした方に
ここで根源的な問いを持ち出して困らせて何になるのか。
当時私自身も生きることへの懐疑は解けていなかったし。

「ではどうして今の私は人には魂があり、
それは永遠不滅なのだと断言できるようになったのか?」

・霊魂
・輪廻転生
・カルマ

このキーワードを人生に当てはめると矛盾が一切なくなる。
すべてつじつまが合う。
いったん腑に落ちれば、
人生上の疑問がスラスラと解けていく。
イエスの言葉も行ないも納得がいく。(素晴らしい)

完璧な魂のストーリーの中で
我々は背後にある大いなる力によって生かされている。
(その力を神と言う)

神の存在に感謝し、
死=無という幻想からいかにして自身を解放できるか?

生きることである。
何度も生まれ変わればいい。
きっとたどり着けるはずさ。
神の導きによって。

  One Response to “普通に考えて、死は無だという判断をするのは仕方がないことです。”

  1. 死が生を浮き彫りにする。

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