4月 302018
 

愛する者が死ぬと
抜け殻のようにポツンとなる人がいる。
父母が逝った、配偶者が逝った、我が子が逝った
と嘆き悲しむ。
死者は在るというのに。
霊魂となって。

残念なことに
我々は肉眼で見えている人間のみを
存在しているとみなしている。
死ねば火葬されて塵となり
肉眼で見えなくなる。
だからもう存在していない。
存在していない人に会うことも語らうこともできない。
そう考えてしまうのは霊魂を信じていないからだ。

実は霊魂となった人は
あなたのそばでいつもあなたを見ている。
あなたがその人を想った瞬間に
そばに立って励ましている。

もしあなたが亡き人を想って
「あの人のおかげで今の私がある」と感謝した瞬間
その霊魂は飛び上がって喜んでいる。
なぜなら自分の生きた人生が
誰にとっても無意味なものだったら
これほど苦しいものはないのだから。

私はあなたに励まし伝えよう。
「亡くなるは無くなるではない」ということを。
肉眼で見えなくなっただけであると。

世には霊が視える人がいる。
私ら凡人には見えないからといって
それをすぐさま否定してしまうのは、
電気を知らない中世の人と変わりない。

俺たちは文明を発展させたし、
霊性も向上させているのだ。
もっと人類を誇れ。

今はまだ視えなくてもいい。
亡くなった人は霊魂としてあり続け、
我々をいつも見守っていることを信じよ。

そう信じるならば
死者に恥じない生き方ができる。
死んでも思い残すことなく素直に旅立てる。
霊魂たちの故郷へと。

この世にサヨナラはない。
感謝の鎮魂歌を奏でることができるかどうかだ。

4月 012018
 

ある株式のメルマガに書いてあったが、
大企業であっても3年の間に
32%もの新人社員が去ると言う。

一流大学を卒業し
一流の不動産会社に就職できたが、
職場の堅苦しい制度や雰囲気に嫌気がさし、
2年で退社を決断した青年がいる。
どうせ働くならオモシロ楽しい方がいい。
インベスターズクラウドのような会社なら
彼はイキイキと働けるのではないかな。

方や公務員は98%が辞めずに
定年を向かえているらしい。

その仕事に生きがいを持って働いている人なら
私はどうぞそのまま継続して
国家のために奉公して頂きたいが、
黒澤映画の『生きる』の主人公のように

「私はこの世界に何を残したのだろうか?」

と空虚な嘆きを吐きたくないのでしたら、
休日を利用して様々な人が参加しているような
どんなセミナーでもいいので参加してほしい。
きっと何か得られるはずです。

ところで
資本主義を採用した全世界において
お金に対する間違った洗脳による支配が及んでいる。

労働者はいつからか
「生きるために働く」が
「お金を得るために生きる」に
なぜだかすり替わってしまった。

その証拠に過剰な生産をしてゴミを増やしたり、
人類に有害な製品や食品を製造したり、
社会を混乱させる金融商品を開発したり、
ひどいのになると兵器を売ってでもお金を欲しがる。

人々をこんなふうにしてしまったのは何が原因なのか?

『失うことへの恐れと不安』

それは人格を歪ませるほどに
我々を怯え震わせる強制力を持つ。
根強く。

おい、『死』はどこへ行った?
恐怖の極みであるはずの死は
なぜに人を苦悩苦悶へと押しやらないのだ?
死を前にして
人類はその未知なる現実にシーンと沈黙し
分からないと困り途方にくれて
嘆き悲しみ嗚咽してもいいはずだ。
平然としていられるあなたが不思議でならない。
それとも自身は死なないとでも思っているのだろうか?

この不可解な人間の思考である
「死の隠蔽工作」がどうして起こるのか
私があなたに解説してやろう。
簡単なことだが。

人に死は無い。
死=無ではないことを誰もが知っている。
不死なる存在である霊魂において
無自覚にそれを理解しているのだ。

だから人は死を忘れ果てて生きることができている。
なぜなら霊魂は絶対の安心を神から約束された
永遠無限の存在であるから。

我らは死を考えずにのんびりと生きていられるのは
(今の今まで人類史をここまで築かせたのは)
霊魂の偉大さにおいて他にない。

それは物質というオモチャを
全集中をもって遊ぶことを許して下さる。

・オモチャが無くてダダをこねる子供
・お金の有無に一喜一憂する人間たち

同じだ。

性欲、物欲、金銭欲、権力欲

「物質界は霊魂たちのオモチャワールド」

好き放題に遊んだらええやんか。
この世界は遊び場なんだから。

何何、お前は
霊魂という”おとぎ話”を持ち出して
「死=無」という残酷なる事実を
隠蔽しようとしているだって?

それではニヒリストのあなたに聞く。

「あなたがそれでも生きているのはなぜなのですか?」
と。

1月 112017
 

2030年になると
団塊世代(昭和22~24年生まれ)が
80歳代になります。
WIKIによると
この3年間に生まれた人口数は800万人と言う。

老いというのは
考える以上に深刻な問題です。
身体が思い通りにならなくなるのは
本人でさえも受け入れがたい事実ですから。

私は近未来の日本人の行く末をこう懸念している。

病院満杯で受け入れ拒否
診察時間24時間待ち
救急車のサイレンが町に鳴り響く…
富者は老人ホームで虐待死
貧者は自宅で孤独死
老夫婦の後追い自殺
看病する家族も疲れ果て自殺
友人の自殺を知ってショックで自殺
若者が未来を憂いて自殺
子孫が途絶えて悲しくてやりきれなくて自殺

自殺が自殺を連れてくる総悲観の日本社会
生きる目的や明日への希望が持てない日本人

「これを回避する方法はあるのだろうか?」

家族全員(3世代)が東南アジアに移住すること。
その地で商売を営み(家族経営が最強だと思う)
おじいさんおばあさんを養いながら生きる。
これだと孤独死は起きない。
客死(外国で死ぬこと)に悲哀する日本人も多い。
家族に見守られながら死することと
どちらを選択すべきか考えなければならない。

人はいつ死ぬのか分からない。
死に方も分からない。
ここに大きな不安がある。
(死んでも魂は不滅ですから死後のことは気にしないで)

もしあなたが家族第一とお考えならば
家族総出で東南アジアへの移住を強く勧める。
帰りたくなれば日本へいつでも戻れることですし。
(夫婦双方の親ともども引き連れるのもありです)

もしこのまま日本に残るつもりであるならば
老人(親)を独りにさせない。
貧しくても一緒に暮らす。
実家が田舎であるならば親を引き取るか
親の元へと帰るか。

「仕事を変えることはできるが
親を変えることはできない」

子供の教育ならばネットで受けることができる。
親の診察もネットが役に立つでしょう。
どんどん進化していますから。

それでも国の財政を考えると
年金だけでは不十分だし、行政も頼れない。
消費は衰え企業倒産増加、失業者があふれるでしょう。
収入の面で言うならば
消費市場が拡大する東南アジアで生きるのが得策です。

本当に貧しい日本に老いていく。
これは避けようがない。

5月 232015
 

村上宗嗣氏のメルマガを読んでいますが。

※無料メルマガ「村上ニュース」は
ココから登録できます。

彼は今「教育」方向にアプローチしているようです。
多くの経済的困窮者の一助となればと考え、
さまざまなノウハウなどを無料にて公開している。
(Youtubeで検索を)

どんな心境の変化が起こったのか、
彼自身がメルマガで書いている。

飛行機に乗っている時に、
乱気流か何かで大きく揺れ出した。

「これは墜落するか」
(恐怖心はなかったみたい)

ほとんどの乗客(金持ちが多い)が慌てている中、
その様子をスマホで撮影しようとしたらCAから注意を受けた。

「このまま死ぬかもな」

座席でポツンとして腰かけたら
1つの言葉が浮かんだ。

「教育」

死を前にすると人間の本心が出る。
本当に自分のしたいことが分かる。

公園の水でシャワーするほどの貧乏から
インターネットで一気に大金が手に入るようになり、
やりたいことはすべてやった(はずだと私は思う)。
その彼が死の際で今一番やりたいことが教育。

美女でも美酒でもグルメでもなく、
南国ハンモック暮らしでもなく、
日本人のために持てる知識や経験を伝授したいと。
(1度でいい、俺ハーレムをしてみたいよ。ムフ)

人間の欲望の最終段階で
「他者の幸福」を願うというのは
何を意味しているのだろうか。

「我らは1つなり」

彼がこれを悟る日は近い。

1月 012015
 

川島和正氏のアメブロを読んだ。
子供が生まれるようです。

http://ameblo.jp/kk5160/

>なお、相手には同居も入籍もしないと妊娠前から伝えてあるので
今後も私は束縛されない自由な生活を続けると思いますが
子供は大切に育てようと思っています。

>私はバツイチの自由人で、無責任な約束をすると
後々トラブルになる可能性が高いことがわかっているので

>母親と子供が幸せに暮らせるように
出来る限りの準備はしていこうと思っています。

この文章を読んで
1、相手の女性はほぼカネ目当て。
2、生まれてくる子供はグレる可能性が高い。
3、子供を持つ=親としての責任を持たなくてはならない。
という忠告をさせて頂く。

まず相手の女性が日本人なのかどうか分かりませんが、
99%お金が目当てです。
同居ならまだしも入籍しないことを許す女性なんて
この法治国家(日本も香港も)で全く考えられません。

結婚=入籍ですので
入籍していない=結婚していない、ことになり、
つまり彼女は未婚の母と言えます。

「子供の姓は、戸籍はどうするの?」

法治国家では
さまざまな法律があり
手続きを必要とすることが多々ある。
自分の夫が誰なのか、
子供の父親は誰なのか、
混乱するでしょうね。
(法律という束縛からは自由になれない)

2、子供も父親に影響される。
息子であるならば
「何だ、お金さえあれば勝手気ままに生きていいんだな」
(たとえ女に寂しい思いをさせても)
娘なら
「男性というのは責任というものから逃げたいんだ」
(お母さんはお金と結婚したんだ)

どちらが生まれてもグレる可能性が高い。

川島さんのご両親は子供を持って不自由だったかもしれないが、
不幸だったのかというとそうは思わない。
不幸ならば孤児院に入れていたはずだから。

3、母と子が幸せに暮らせるような準備はするとある。
これは立派な父親としての発言です。

川島さんは「父親=不自由」と勝手に思い込んでいる。
私からみたら
メルマガを発行し続けるのも
あゆみどん(従業員)を雇っているのも
川島塾を運営しているのも
ほとんど束縛に近い。

というよりも人間が生きている限り
自分という自我や
肉体という牢屋から出られない。
全くもって不自由極まりないことです。

「死=束縛からの解放」

死にたいのでしょうか?

僭越ながら私がアドバイスさせて頂く。

まず入籍だけはしておく。
したくないなら
法治国家としてのメリットを受けなくても
あなたは平気ということになる。

次に同時に離婚届けを出してもいい。
バツ1もバツ2も変わらない。
今まで通りのライフスタイルを歩める。

そして多くの日本人男性は会社に行って働いている。
その間子供は父親といっしょに過ごせていない。
つまり父になり子供がいても
世界中どこでも自由にいつでも旅行はできる。
(お金があればの話)
旅行が仕事ならば。

結論:入籍しようが子供がいようが
川島さんのライフスタイルはほとんど変わらない。
それでも入籍を拒むようであるならば
あなたの言う自由とは無責任ということになる。

川島塾生はいずれ不幸になるだろう。

11月 272014
 

私が26か27歳だったと思う。
暑い夏だった。

記憶が定かではないのは、
毎日のように反芻していた「人生の疑問」を抱えながら
低賃金のアルバイトで何とか生活していたからだ。
つまり単調な生活だったからである。

私はエアコンのない6畳の部屋に住み、
暑さを紛らわすために冷えたドリンクをよく飲んだ。
それが原因だったのか
激しい腹痛に悩まされた。

「人類の歴史が続いているということは、こんな苦痛を幾度も乗り越えてきたんだよな」
「よく頑張るよな、こんなにまでして何で生きるのかな、俺はいっそ止めたいよ」

(死ねば苦痛がない。確実にそれから解放される。なぜなら脳が痛みの信号を出しているから)

上のセリフは私が体調を壊すといつも思うことである。
弱音である。

私はよく下痢をする。
だからこの時も
腹の中のものをすべて出してしまえば
すぐ治るだろうとタカをくくっていた。
が今回は違った。

共同トイレのある15メートルまで歩いていくことができない。
そこまで立つ力も、這って行ける力も出なかった。

マズイ、このままでは下着の中に糞を散りばめてしまう。
布団も汚して悪臭を放つ部屋と化す。

「どうすればいいんだ?」

私の枕方向には小さな洗面所がある。
そこにタライがあってその中に糞をするしかない。

私は柱に寄りかかりながらタライを取って
それを尻にあてがい、滝のようにぶちまけた。
私はスーパーのビニール袋をゴミ袋としていたので
それを2重にし、その中に自分の糞を入れた。

激しい下痢は続いた。
糞はビニール袋にたまり、力を出して封を縛った。
でないと水分を含んだ糞は袋からドロドロと出て
畳を汚してしまうからだ。
その上タライにも糞がたまるまで出した。
こんなに出るものなのかと我ながら苦笑した。

「俺の細い体に何でこんなに糞があるんだよ!?」

水分とシャッフルされた糞は膨張するのだろう。
だが強烈な臭いがなかったのは幸いだった。

下痢が収まると静かな時が訪れた。
布団に横になりながら
頭がグラグラと天井が回っていた。

「このまま意識が無くなればどうなってしまうのだろう?」

独り身である私は誰からも知られず
そのまま死体で発見されるのだろうか。
その時誰かそばにいてくれたらどんなに幸せだろうかと思った。
皆が結婚するのはこういう場面を想像してのことだろうか。
もしそうなら結婚は他者依存だろう。

私はこのまま死んでいく。
だがなぜか死の恐怖はそれほどなかった。
なぜなら人は死ねば、無という無苦が待っているから。
苦痛がないのは何と幸福なことだろう。

私は自分の肉体に意識を向けた。
下痢のピークは過ぎたようだ。
闘いが終わった後の自分の肉体は疲弊していた。
完全に動かない。
私はその静謐に支配された自分の肉体に
自分の意識がポツンとあるのを自覚した。

「肉体はガランドウみたいだ」
「意識は冷たく暗い粘土のような肉体に閉じ込めれているんだ」

私がその後、肉体とは魂の入れ物と断言しているのは
この体験があったからである。
首から下が動かせずにいる障害者や入院者を想えるのは
この体験のおかげである。

そして何ということだろう。
私がこの瀕死から脱することに成功させた
驚愕すべきことが私の身体の中心に起こった!!

『勃起』していたのだ!!

「こんな時まで…俺は何てドスケベ野郎なんだ!?」

私は自分に呆れた。

「むむ、いや違うぞ」

私は男であり、性欲というものがどんなものなのか熟知している。

「俺は女を求めていない!!」

「ならば何だ? 俺のペニスは何を求めている?」

「生きたい!!!」

私の小さいペニスは精一杯固く上を向いていた。
手でやさしくさすりながら
俺は生きたがっているという事実をそこに見た。

「俺はこのまま独りで死ぬなんて寂しいよ」
「自分の糞にまみれながら死んでいくなんてヤダよ」
「俺はみんなといっしょにまだまだ生きていたんだよ」

私が無条件に他者の存在の必要性を確信させた
「独りである」ということのいたたまれなさ。

「人間は独りではダメなんだよ!!」

私は自分の存在に意義を見出していなかった。
その私が他者から存在を認められたがっていた。

「こんな俺でも世界に何か役に立てることがあるはずだ」
「生きて生きている人のためでありたい!!」
「ただ生きていけばいい。生きていればこそ…」

私はいつしか眠っていた。
目が覚めると若さもあってか身体を動かすことができ、
力をつけるために栄養のあるものを食べた。
その後の行動や何を食べたかは覚えていない。
トイレで糞の始末をしたことくらいか。

勃起という事実はそれほど私には驚愕的な出来事だったからだ。

それ以来の私の関心は、
死は無であるという結論に方向性を向かわせる思考から、
自身の内なる生命エネルギーの神秘さに向かった。

『性欲は神秘的なエネルギー』

なぜあの時勃起が起こったのか。
そんなにも繁殖という動物本能が生を衝き動かすものなのか。
ことあるごとに考えた。

そして他者、私と同じく生きている最中にある自分以外の人。

他者も生命エネルギーを輝かせ、
生きることを欲している。

『命』

本当に私たちは無から生まれ無に帰すのだろうか。
もしや生命エネルギーとは巷で言われる魂というものなのか。

あの時完全に力尽きたはずの私の肉体に
魂は「生きよ」というメッセージを伝えるために
男性シンボルに勃起という生命エネルギーを与えた。

もしそうならば私という意識すらも支配しているのが魂だと言える。

魂という存在は偉大なる者であり、
それがあまりにも強大で覆い尽くしているがゆえに、
私たちの日常においては知覚できないのではないか。
だから死は無であると考えてしまうのではないか。

-自我意識こそがすべてであり、
それは脳が作り出した幻想であり、
その脳が死ねば自我も無くなる-

これは誤った考えではないのだろうか。

私が下痢事件と呼んでいるこの日から
「魂は在る」という結論に至るまで
まだ時を要している。

確信へと変わるには醸成が必要だ。
人は急には変われないものだ。

皆が霊的存在を信じられずにいるのも
無理はないことだろう。
何度も生まれ変わるしかない。
輪廻転生は真実だから。

10月 092014
 

高校3年か浪人中の19歳の頃だったか
私は活力の失せた痩せた体で
夕方トボトボと歩いて15分のところにある近所、
人気のない川沿い裏の何の畑か分からない
ただ一面広がる土地が見渡せる道にたたずみ、
そこに沈んでいく夕陽を見ていた。
どこにでもある夕陽だ。

「なぜ夕陽はこんなに温かいのだろう?」

もし人が死んだら無になり、
そもそも世界は無という気まぐれの産物でしかなく、
何の意味も持たない造形物だとしたら、
どうしてこんなに夕陽は私に向かって

「元気を出せよ、我はまた朝日として姿を見せようぞ」

などという荘厳なメッセージを与えてくれるのか。
私には見当も付かなかった。

ただ私はその夕陽の優しさに軟弱な心を慰められもした。
(生きる動機としては頼りないものであったが)

確かに夕陽は傷つく者に対して優しい。

「なぜ優しいの?」

【無で生まれ、無に帰す】

「そこには何の苦しみも痛みもないから
あなたは優しくいられるの?」

「無を根拠にして優しいとは一体どんな意味があるというの?」

私は世界が存在する意味が分からなかった。
そして自分がなぜ“生まれる”ということになったか、
恨みにも似た感情を持っていた。
この私に対して無を背負わせるなどという流刑罪を課した世界に
訳もなく腹を立てていた。

そう思った時、
「人類も私と同じ罪を課せられている」
その哀しい事実も尚のこと
私を亡霊のように生気のない若者とさせた。

「人は哀しい」
「世界は無意味」
「人生を生きる価値は皆無に等しい」

もしこの時に私がその後歩むことになる
20代の苦難を知ったとしたら、
自殺もあったかもしれない。

私がこの時なぜ死を選ばなかったのか、
今の私は考える。

愚かしい私の若さのパワーが
未だかつて誰も知り得ないと思われた
「生と死という難問を解く」ことに挑戦したから。
誰かが私よりもすでに偉大なるその真理をきっと知っているはずだ。
探求せねばならぬ。
彼と同じ道を歩まなければならぬ。
そしてできれば自分と同じ苦悩を抱えている者に伝える。
まずは私自身が会得しなければ!!

「もしそんなもの世界の誰も理解できておらず、
生も死も無であるという単純な答えが待っていたら?」

その時は潔く死ねばいい。
人類を想って泣きながら
死ぬしかない。
私に死ぬ勇気があったとしたらだが。
いやその結論が否が応でも選択を与えるだろう。
結論を下す自分は無そのものに同化しているはずだから。
屍のようになって。

「ヘトヘトになるまで追求してやろう」
「でもこんな俺に果たして人類の叡智へと到達できるのだろうか?」

私は死ねなかった。
死なねばならない理由がないから
死ぬ決意が持てなかった。
臆病者だったとも言えるが。

「どうせ生きるなら、誰もが知りたいと願うこの真理をつかんでやろう

私はそのことに以外には何の興味も持てなかった。
(SEXは別)
お金も地位も名声も豪奢の暮らしも何もかもくだらねえ“逃げ”に過ぎない。
私は大学で勉強する。
大学卒もくだらねえからどっちでもよかったが。
だが追手門大学という3流大学に入ったことは幸運だった。
なぜなら私が住む貧乏アパートのそばに(歩いて5分)
図書館があったから。(大阪府立茨木中央図書館)
今ではそれは神の大いなる配慮だと信じている。

そして私がすべての男と同様に持つ
性欲(女とSEXをしたい)という欲望の中に、
偉大なる真理へと導く手がかりになるとは
学生であった私には想像もできないことであった。

性欲こそが私に疑問を解く大きなきっかけを与えてくれたとは!!

今の私はオナニーが好きだ。
罪悪感はない。

4月 222014
 

私が大学生の時、
ゼミを受けている同じクラスメイトが自殺した。
その時K教授(当時70歳前)と死について議論したことがある。
K教授の要点はこうです。

人は死んだら無になる。(睡眠時のように)
人生には意味も目的もない。
どうせ無になるなら人はどんな悪事を働いても平気だが、
それでは人類の存亡は危機に陥り、
法律や道徳概念を作り出してそれを阻止した。

私は五木寛之さんも同じことを言っていますよと彼に告げたら、
その人のことは知らないがそれが一般的な考えだよと答えられた。

「無なのにも関わらずなぜ人(先生)は生きたいと思うのですか?」
とは私は聞けなかった。
なぜってもう70歳を前にした方に
ここで根源的な問いを持ち出して困らせて何になるのか。
当時私自身も生きることへの懐疑は解けていなかったし。

「ではどうして今の私は人には魂があり、
それは永遠不滅なのだと断言できるようになったのか?」

・霊魂
・輪廻転生
・カルマ

このキーワードを人生に当てはめると矛盾が一切なくなる。
すべてつじつまが合う。
いったん腑に落ちれば、
人生上の疑問がスラスラと解けていく。
イエスの言葉も行ないも納得がいく。(素晴らしい)

完璧な魂のストーリーの中で
我々は背後にある大いなる力によって生かされている。
(その力を神と言う)

神の存在に感謝し、
死=無という幻想からいかにして自身を解放できるか?

生きることである。
何度も生まれ変わればいい。
きっとたどり着けるはずさ。
神の導きによって。

3月 232014
 

「人間は死んだら無になる。
だったら生きていても意味なんてない。
死んだ方が苦しみがなくて幸せだ。
だって生きることは苦の連続だから」

20代はこんな風に思っていた。
つまり
「みんな死んだら皆が無という“無苦”が得られて幸せだ」
と。

人はなぜ生きるのか?

人の幸福とは何か?

死という確定された事実を
忘却の隅に追いやってまで、
人はなぜ懸命に人生に花を咲かせようともがきあがき苦しむのか?

我らは奥底で知っている。
死は無ではないという真理を。

では何が死を無でなくしているのか?

不死なる魂が我らの内部に在る。厳かに。
それは永久に存続するものであり、真なる本性である。
我らすべてその流れの中に在って身を任せていられるのだ。

愚かにも人はそれを知らない。
死を無だと強要しているのは「知らない」という盲(めくら)である。
「知る」を学ばなければならない。

人は自己が不滅の魂という神なのだと知ることによって、
神にふさわしい生き方ができる。
それが人類の幸せであり、
人類すべてがその幸せを勝ち得た時、
人類に滅亡が許される。
その時が来るまで永遠に生きよう。