10月 222014
 

1、大病気
2、大事故(=大怪我)
3、大失恋

獄中体験も人を変化をさせるが、
番号呼ばわりされて
人間って良き人になるでしょうか。

上記の3つを「大事件」とする。
大事件に見舞われることは
自分にはどうすることもできません。
(自分から被りたい人は変人です)

「艱難汝を玉とす」

これは事実です。
ですが艱難は普通に考えれば
自分で用意するものではないです。

ではどうすれば人は変化できるかな?
または変化させることができるのかな?

「愛し愛されること」

これしかない。

愛のみが人を変化させる偉大なる力なのです。

10月 182014
 

実はこの物質でできた世界は
魂が自らを向上させるために創り出した
『幻夢』なのです。
(私はこの言葉が一番いいかなと思っている)

まず言っておくが、
幻夢とは「虚無・無意味・無駄」という意味ではない。

我々の本性である霊魂が「今よりも美しくありたい」と願い、
物質という負荷を魂に背負わせた。
魂はこの物質界が幻であり、
魂こそが真であることを忘却させるほどに
美しさという感動を求めた。
(その強烈な思いが物質の創造の原動力となった)

もっと簡単に言う。

あなたの魂があなたの肉体を吹き出し着せた。
(人それぞれ個体が違うのはカルマが原因)
真なる本質である己=魂を隠すほどまでに。

魂は至福の塊りであるがゆえに、
むき出しのままではどこが未熟なのか分からない。
魂にすっぽりと肉を着せることによりそれを浮き彫りにさす。
我々は未熟を克服した時、
最も得難い感動を味わえる。
それが人生の目的だ。

生命体だけではない万物も同じく、

海や山や川などの自然界
自身や火山や雷雨などの自然現象
太陽系、銀河などの物質的宇宙

この世のありとあらゆるものはすべて、
霊魂たちが自らの霊魂たちのために
感動を得させようと配慮され
吹き出したものです。

これは自然界は魂の恩恵であり、
自然現象は猛威ではなく感謝であることを意味する。

大胆になるが別の見方で言ってしまおう。

地震も津波も火山も洪水も
人の強い思いでどうにでも制御できる。
魂の共感さえ得られればだが。

10月 152014
 

あるTwitterに
「死んだら無になるに決まってる」
「スピリチュアルなんてアホちゃうか」
そんなつぶやきを読んだことがある。
若い人でしたが。

まあそれは無理もないことですよ。
健常者であればそれが普通。

でもね、苦難に合ったら誰であろうと思い知ることになる。
ある時ハッと我に帰る時がある。
私もそうだったから。

9月 232014
 

リスト、リスト、リスト…

阿呆みたいにリストなんか得ようとしてはいけない。

「リストに力が弱まってきている今、
何が力を持ち始めているのか?」

『信頼』ですよ。

信頼は信用から始まるわけだが、
信用はお金で買えないです。
それは分かりますよね?

でもリストはお金で買える。

「お金で買えるものは財産にならない」

一番高い買い物である不動産ですらも
価格下落が止められない。
(個人の力では止める方法はない)

「では何が財産として価値を持つのか?」

・愛する人に愛されること
・健全な精神
・日常生活に支障がない健康
・楽しい仕事(無我夢中になれること)
・ありがとうと言ってくれる仲間に囲まれて生きる
・人生を生きる意味を完全に理解している
・死は恐ろしくないという自信

など

これらには共通して『信頼性』が欠かせない。

●他者が自分に対しての信頼
●自分が自分に対しての信頼

『信じて頼られること』

私はこれに人生を華やかにする奥義が込められていると信じる。

リストは必要ない。
求めるな!!

洗礼を受けていない私は
イエス・キリストを篤く信頼している。
彼が私の救い主であったから。

信頼とは、迷える現代人を救う『救済力』だと断言できる。

9月 192014
 

私が高校生の時だったと思う。
(20年前か)
唐辛子をガンガン使う女性についてテレビ放映していた。
「舌が異常だな」と思ったが、
なぜそうなのかは考えなかった。

今では分かる。

「現代人の舌は、心の空虚感によって異常をきたしている!!」
(化学物質入り食材で汚染されている部分も大きい)

味がおいしいとかマズいとかの判断は、
味覚の機能だけによるものではない。

・嫌いな人と食べるディナーはおいしいですか?
・ヤクザが隣りで座っているラーメンは心地よいですか?
・仕事でヘマをして上司にドヤされた後の居酒屋はうまいですか?
・恋人からDVを受けている時に食べるケーキはおいしいですか?
・学校でいじめを受けている時の給食は味がしますか?
・「アタシの料理に文句にあんの?」
とスゴまれて食べさせられる嫁の料理に愛情を感じますか?

その時の心の状態が
味を左右しているのがお分かりだろう。

飲食店での料理の味はどこも同じようです。
はっきり言って変わらない。
(日本料理は醤油ベースだし)

これでは差別化ができない。
どこで食べてもいっしょなら安くて近い方がいい。
しかもこれではリピートしてくれない。
「ここでなきゃイヤだ!! ここで食べたいよ!!」
こんな風に思ってくれない。
つまり飲食店は儲からないのですね。
いくら味を追求してもダメ。
これを理解していないと店じまいに追い込まれます。

「どうすれば繁盛する飲食店を維持できるのか?」

まず今の顧客は味を求めていないことを知る。
一番欲しいのは『心の満腹感』です。
それを理解しないとダメなんです。
お客の心を知らずして店の経営は不可能な日本なんです。

「お客の心?」

現代人は心に空虚感を抱いている。
心に無駄なゴミを抱えている。

空虚感を満たせ!!
ゴミを排除せよ!!

空虚感とは、自己の存在意義を見失った状態です。

俺、何のために生きているんだろ?
私、何の役に立っているのかな?

「あなたが生きていてくれてありがとう」
という調味料を加えるのです。
お店のすべてからそれを醸し出すのです。

ゴミとは、生きていく上で幸福を邪魔する不必要な常識・通念。

俺、みんなに迷惑かけていないかな?
私、何もできていないのにこれでいいのかな?

「あなたはこの世で一人しかいないかけがえのない存在だよ」
生きることへの希望を与えるのです。
勇気を注ぎ込むのです。

南原竜樹社長の本に書いていました。
「お店に来るお客の目的は、店主やおかみさんに会いたいから」
来店目的の70%がそうらしいです。

上記で分かりますか?
店の繁盛を継続する方法が何なのかを。

店主や店員が『愛ある人』になればいい。

これは利益優先のチェーン店では不可能。
個人のお店しかできない。

「愛とは何かを理解し実践すること」

飲食店が成功できるのはこれしかない。
(飲食業でなくサービス業になってしまいますが)
個人経営の店主の方は『愛』を食べさせて下さい。

8月 032014
 

佐々木浩一さんのメルマガから。

日本在住の女性から頂きました。

——-
佐々木さんこんにちは。

最近自分がひどく気持ちが
不安定になってきたと思いまして
メールさせていただきました。

私は自営業です。
経営状況は月によって波があり
いい時もあれば悪いときもあります。

すべてを円滑に回すには
やはり人とのつながりだと気づき
苦手な人間関係を克服するべく私なりに頑張り、
少しづつ自分も変わってきたなと思っていました。

そして、目標設定をして
そこに向かってイメージを描き
具体的にアクティブに
ここ1、2年動いてきました。

うまくいってるように思えました。
少し前までは気持ちも
充実しているかに感じていました。

でも、最近すごくむなしいというか、
気持ちがぽっかり穴が開いたというか、
頑張れくなってきたのです。

ここ1、2日は訳もなく
むなしく涙があふれて
止まらなくなる状態です。

うまくいっている友達をみては
自分と比べて落ち込んでいます。

旦那に対しては
特にイライラが止まりません。

旦那も自営業者で私より経営者としては
先輩なので色々と言われることもあります。
普段は優しくとてもいい旦那ですが・・

でも、最近すごくそういう風に
言われることに対して嫌悪感というか、
言われた時のことを思い出して、
もういやだ!何もかもやめたい!
投げ出したい!と思ってしまいます。

今冷静になって思うことは、
私は旦那の期待に応えようと
いつも頑張ってきたような気がします。

旦那は私のコンプレックスを露骨に口に出して、
お前はこういうところがダメだと言います。
私も自分で自分のダメな部分を分かっていますから、
反発しながらも悲しくなりながらも、
何とか自分なりに頑張ってきました。

でも、疲れてきたんです、たぶん。
旦那の期待に応えて頑張っている自分に
もう嫌気がさしてきたんだと思うのです。

自分の気持ちを取り戻すには
どうしたらいいでしょうか?
——-

【佐々木さんの回答】

今あなたがいる場所が
最初のウィニングエッジです。

目標を定め、
行動を開始して
一段落した頃に出てくる
疑いの気持ちです。

その疑いは、
自分自身にむいたり
自分の周りの人にむいたり、
人それぞれです。

ここが最初の登竜門です。
いわゆるテストってやつです。

ここであなたが問われている事とは
こいういうことです。

あなたの過去の考え方やものの見方で
今後、今の目標を達成させようと思ったら
変化させる必要のなるものですよ、

こういうメッセージです。

ここを乗り越える方法は、
今まさに感じている葛藤を
認め、受け入れ、理解し、許すことです。

「認める」

これはあるものを否定せず
そこにあると認める事です。

「受け入れる」

これは認めると似ていますが
もう一歩踏み込んで
それが今の自分であると受け入れる事です。

「理解する」

これはなぜその考え方や感じ方が生まれたのか
その経緯を理解する事であり
そのパターンの詳細を知るという事です。

「許す」

ここが解釈の難しい事です。
許すってそうであることに許可を出すということ。
通常、葛藤はなくしたいと思うので
排除したいと考えますが、
排除しようと思えば思うほど葛藤はふくれあがります。

実はアプローチが逆です。

葛藤があって当たり前とする。
それも自分と許可を出す。

そうすると葛藤が葛藤でいられなくなります。
(以下省略)

【私の意見】

旦那さんと旦那の会社のことを第一優先に考えて
自分は2の次3の次。
本当の自分から目を背けて
旦那に依存し切ってしまった状況が今です。

うまくいっている友達をみては
自分と比べて落ち込んでいます

これがいい証拠です。

気持ちにぽっかり穴が…
むなしく涙が止まらない…
旦那にイライラ…

体にも心にも反応が出てる。
「私の人生って何なの?」って。
女性は年を取れば取るほど
「もっと自分の人生を楽しみたい!!」と思ってくる。
(男性の場合は嫌な仕事から逃れたいと思う)
その緊迫した気持ちが
佐々木さんへヘルプメールを出すという行為に出た。

質問者の女性が何歳なのか、
子供はいるのかどうかは分かりませんが、
本当の自分の心に向かって問うてほしい。

「私は何がしたいの? どうありたいの ?」って。

この質問者はまだ救いある。
旦那の期待に応えようと、いつも頑張ってきた…
と冷静に自己分析ができているから。

あとは「これかも」と思ったことをどんどんしてみればいい。
離婚される可能性も否定できないけど
それも仕方がない。
今まで夫のために働いてきたのだから
少しのワガママも聞いてもらえないようでは
ダメ夫過ぎるだろう。

自分を愛してやれるのは自分しかいないよ。
もっと自分の人生を大切に考えて生きてほしい。

とりあえず旦那の会社は辞めること。
旦那さんも奥さんが辞めたら
どれほど貴重な存在だった気づけるはずだ。
お互いのため。

5月 112014
 

他人と比べて自分は劣っていると思う自分。
やると決めたことすらもやれない優柔不断な自分。
やりたいことも見つからないボーと生きている自分。
欲望に翻弄されて、本当の自分は何かを知らない自分。

「自分を愛することができない人は
他人も愛することはできない」

その通り。

「どうしたら人は自分のことを愛せられる自分になれるのか?」

まず人はアニマルだと思っている人がいるが、
それは本当のことではない。
もしアニマルだと思っていたら、
どうして他人と自分を比較できるの?
なぜよりよい人生を生きたいと思うの?
そもそもアニマルは反省なんかしないよ。

これは人はヒトではなく人間であり、
アニマルではなく高次元の動物なのだと考えていい。

「では人という存在は何なのか?」

実は人は『神』なのである。
動物という衣をまとった神である。
衣とは負荷のことであり、
その負荷を乗り越えることで神はよりよい神に変化していく。
つまり進化(神化)する。
我々はすべて神であるということを知らねばならない。

よって自分を愛せられる自分になるためには
「私は神である」という真実に気づき、
負荷に悩まさられる自分を受け止め、
それを一つずつ克服することが、
神に近づけて楽しいなと思えなくてはならない。

自分の人生を愛することができる人は自分自身を愛しているのです。

今まさに歩んでいるその人生を受け入れよう。
あるがままに。

3月 132014
 

貧乏からのし上がった人が、
過去のどん底体験による恐怖から守りに入ってしまい、
挑戦を止めてしまうことがよくある。
どん底を乗り切った自分を信じることができなくなって。

ゼロから築き上げた会社を倒産させまいと
必死で延命処置に励んでいる社長もいる。
また1から始めればいいだけのことなのに。

『人生、何度でも挑戦可能、いつでも修正可能』

世の中を見ると
無い人よりも所持している人の方が窮屈なのではないかと思うことがある。

なぜ人は失うことをこれほどまでに恐れを抱くのか?

永遠ではないものに固執しても、無駄なあがきなのだと知らないのかな。
でもなぜなのだろう?

同時に夢・理想・希望を失ってしまったからではないか。
進むべき自分の道が分からなくなっているからではないか。

つまり『生きる目的』が明確になっていないということだ。
もしくは己の使命としてそれはもともと薄弱なものだったのかもしれない。

失う恐怖に襲われて、
自分を見失っているほぼすべての日本人に強く問う。

あなたは何のために生きているのですか?

そこを理解しておかないと永久に幸福には到達できない。

2月 262014
 

「人生に意味なんてない。生きることと死んでいることは同じだ!!」

などと勢いよく叫んだとしても、
その後から何だか虚しさがスーっと湧き上がって切なくなる。

生まれる前も無、死んだ後も無であるとしたら、
一体私の人生とはどんな意味を持つというのだろうか?

もし人生とは無(無意味)であると決定したとする。
とたんに我々は何てみじめで哀れな存在に成り果ててしまうことだろう。
だが我々はどうしたわけか自身の内に“崇高なるもの”を求めようとする。

「人生に目的はない。人の存在は無意味であり無価値であり、生きることは讃えも慰めも全く通用しない」

これが真実なのだと結論づけをしたとしても
なぜ我々は“求める”があるのだろう、結論を出したというのに。
無なのだから、求めることは何の意味もなさないではないか。

果ては無である人生を生きた先に何かがあるというのか?
それは何だ?
なぜ無だと結論を下したはずなのに、なぜその“”を求める?
そもそも求めている自分はどんな源泉があって“求める”が湧きだすのか?
結論という判決を言い渡す自分が生ぬるく、未練がましくも幻想を持ちたいのか?
それならばその幻想はなぜ脳にこびりついているのか?
あまりにも冷酷な無という事実から逃避したいのか?
逃げ出したいなら自殺を選べばいい。(確実にその先に苦は無いであろう。肉体がないゆえ)
だが我々は求める。よりよくあろうと欲する。
なぜだ?
死という無を飛び越えようと必死にもがき生きようとする原動力。
そのエネルギーはどこから生み出され補給されるのか?
生物ゆえの脳機能が生存本能をむき出すのか?
生物の本能は死を超越したものであり、
生きる本能はあらゆる幻想を作り出し洗脳として埋め込むのか?
生きるということは幻覚というか?
なぜそんなにまでして幻覚を体験しなくてはいけないのか?
の中に生きなければならない理由をどんな土台が支えているのか?
土台そのものでさえ、洗脳の力により建造されたのか?
人類史を歩ませるために。
ならばなぜ人類は人類のストーリーを永続させなければならないのか?
終わりであってもいいではないか、幻想ならば。
だが子は産まれ、子孫は紡がれていく。
連綿と続く人類史は徒労という蚊の力でこんなにもダイナミックに動いていくのか?
徒労が歴史を引っ張るというのか?
それは引っ張ることができる力を本当に有しているものなのか?
何が我らを生へと繋ぎ止めるのか?
生きねばならぬと。

私がやっとたどり着いた答えを書き残そう。
今を生きる者のために。
人(人生)は、幻想でも幻覚でも嘘でも洗脳でもない。
徒労など初めからない。
人は不滅の魂であり、神の一部であり、愛の化身である。
我らすべては神を求め生きている。
過ちを踏み越えて、更なる至高へと目指しながら。

脳科学者は私をこう斬るであろう。
上記の連打する問いはそもそも前提として脳の仕業であり、
解を求めて悩み苦しむ私はナンセンスだと。

本当に私は愚なのか?

否、私は真理を公言する愚者である。