8月 272018
 

タイのテレビ番組?で
日本のロックバンドの曲を歌う2人の女の子が
とてもうまいのに驚いた。

「Say Anything」by X Japan

(オリジナル)

なぜ X Japanの歌がタイで知られていて、
子供にまですら歌われるのか。
どんなところが彼らを魅力しているのか。
探ってみた。

作詞・作曲はバンドのリーダーであるYOSHIKIが制作した。

彼が担当するのはピアノとドラムだ。
X Japanのステージではギターはやらないが、
他ではギターを弾くらしい。

「Say Anything」の歌詞を読むと
適切な言葉を探し選び吟味され、
その作詞過程に苦しみの跡が読み取れる。
言葉は音以上に時間を割いているそうだ。
(その気持ちの半分は分かるよ)

詩は、美を希求する詩人(彼自身)の葛藤が表現され、
メロディと共にその苦悩と悲哀と悲嘆が高らかに歌われている。

内なる心に問いかけても聞こえない詩神たちの声。
真実の口から語られるその言葉を永遠に求め彷徨う男。
いつかはたどり着けると信じる美との一体化を夢見て、
詩神への変わらぬ愛を誓う孤独な詩人の魂。

冷たい雨に濡れながら時間だけが過ぎていく。
虚無と混沌に凍え震え立ちすくんだまま…

彼はこれを失敗作(未完)だとみなす。
私は不十分感を否めないが、逆にそれがいいと考える。
もし完成で終われば
狂おしいほどの美への請願も
求めて止まない魂の嗚咽もどこかへ忘れるからだ。
芸術において完璧は死を意味する。

永遠なる美を求め・もがき・苦悶しながら探し続けていくのが
我らすべて不完全な人間たちの人生の宿命だ。
(YOSHIKIだけではないよ)

ステージ上でのドラム演奏時における彼は激しい。
音に合わせて頭を上下に振るヘッドバンギングにより
首と頸椎を損傷し、手術するまでになる。

ドラムのリズミカルな旋律が
身体の内部にある破壊願望を
ゆっくりと誘発していく。

抑制できない暴力性が蛆虫となって脳髄から湧き出し、
自らを破壊へと駆り立てる。

固定化されたドラムセット(ドラム、タムタム、シンバル)
両手に持たされたスティック
指定された席に座りながら
音を出すために叩きつける。

「俺を枠へと押し込める気か!?」

ふと無言の楽器たちから脅迫されているように思えた。

「俺の自由の翼を鳥籠に閉じ込める気か!?」

ドラムセットが悪魔に変わり
ピュアな音楽性を犯し始める。

「俺に盾突く奴は許さない!!」

彼は今までにドラムを何個も壊してきた。
(テレビで100個と告白しているらしい)

理想とする美にどうあっても到達できない嘆きと苛立ち。
醜なるものが確かに自身に内在しているのを自覚すると
己の愚かさと哀しさに感情が暴走する。

「分かっているよ。壊したって何にもならないことぐらい」
「それでも抑えることができないんだ!!」

毒を宿した棘を持つ深紅の薔薇が
疲弊した虚弱な身体から
蛭のように血液を吸い上げる。

無残な姿になった愛するドラムセットを見つめると
自暴自棄の羞恥からピアノに助けを求める。

「おお、ピアノよ、女よ、私を抱き寄せ癒やしてくれ」

鍵盤に載せる指が
冷静さを取り戻してくれる。

「ピアノのはいいものだ」
「罪の薔薇を燃え焦がし消し去ってくれるからな」

静と動
美の創造と破壊的パフォーマンス
光輝く生への渇望と破滅への憧憬

自己矛盾を抱えながらも
定義するものに対し死ぬまで反逆する。
それがYOSHIKIであり、彼の魅力だ。
これからもX Japanのリーダーとして走り続けてもらいたい。

次にヴォーカルを担当するToshl(Toshi)について。

私は彼の高音ボイスよりも
歌う際の“込め方”が気になったので、
何が彼をそうしてきたのか、生い立ちから調べてみた。
そうしたら衝撃的な本が検索上にあったので
すぐさま電子書籍版を買って読んだ。

彼がMASAYAという音楽家と
その手下である偽りの妻、
守谷香から受けた洗脳行為について
ここでは私の言及は差し控えたい。
詳細を知りたい人は本を読んで下さい。

この本の冒頭に気になる2点を見つけた。

Toshlが幼い頃、父親の背にしがみつき
自転車に乗せられて幼稚園に向かう20分間が、
「おとうちゃん」を独り占めできる幸せな時間とあった。

彼は三兄弟の三男で1965年生まれだ。
(YOSHIKIも1965年生まれの同級生)
その当時は人口の平均年齢は低く、
団塊世代がこれからジュニアを出生している最中で
どこを見渡しても子供と若者ばかりだった。

兄弟姉妹が多い家族ならば
父や母の愛情を自分の方だけに向けてほしい。
自分は親から愛されている存在だと再確認し続けたい。
それが子供というものだ。
なぜなら育てる義務を持つ親に愛されなかったら、
それはすなわち死を意味するからだ。

彼の立ち位置は微妙だった。
母と兄のケンカを目撃すれば
どちら側に付くべきなのか悩む。
母に付いたら兄とは遊んでくれないし、
兄に付いたら晩のおかずレベルが下がる。

「こんな時、おとうちゃんがいてくれたら…」

それはまだ洗脳される前にも言えたことだった。
もし相談相手として息子のそばにいてくれたら…

もう1つこれはちょっと驚いたのだが、
父は息子のことを「トシくん」と呼んでいること。

※Toshlの本名は出山利三(トシミツ)

軍事教育を受けた戦前生まれであろう父が
自分の子供に「くん」付けをする。
彼は裁判所に勤める公務員だったとある。
どんな仕事だったのかは私には分からないが、
おそらく無言で淡々と行なうルーティンの仕事だったと思う。
言いたいことも言わず、そんなに言いたいほどこともない。
ただ与えられた仕事をこなしていくだけの毎日。
趣味と言えばテレビの野球観戦と歌うこと、
そして子供の成長くらいだったろう。

高度成長する日本の最中にあって
「俺は男として何をやっているのだろうか?」
と自問したこともあったことと思う。
家族を養わなければならない父親としての責任の前に
自分の野心はどこかへ消えてしまった。
変化の乏しい日常に満足しなければならなかった。

それが1990年に脳梗塞を起こして
半身麻痺と失語症の後遺症を残した。
自分の意思を言葉にして伝えることの尊さとありがたさ。
病気から教えられることは多い。

「三男を見よ」

あなたの息子は洗脳を解いたぞ!!
言葉と暴力による隷属人生からみごと脱出したぞ!!
しかも日本のロック界の頂点に立ち、
日本の音楽シーンに多大なる影響を与えたぞ!!

天から我が子を誇りにするとよい。

母親はピアノ講師だった。
家にはピアノがあったと思うが、
Toshl自身は独学でピアノを学んだ。
講師ならば真っ先に自分の子供にピアノを教えるはずなのに
三兄弟の誰にもピアノを教えたような形跡はない。
音楽というものにそれほど情熱がなかったのだろう。

夫と同じく物資の乏しい戦前生まれの中に生き、
女性としてのオシャレやおいしい料理に飢えていた。

「ピアノが弾けたって、豊かな生活なんてできないわよ」
「ましてや男の子が弾けたって…」

X Japanは音楽によって莫大な富をもたらし、
今やタイの子供にまで歌われる偉大な音楽グループになった。
YOSHIKIのピアノがそれに大きく貢献している。

芸から生み出される感動と
自身の手中に今あるものへの感謝に気づけ。
それ無しに女の幸せはない。

それにしてもMASAYAはバカなことをした。
結局Toshlをマインドコントロールしたのはお金目当てのため。
もしToshlに楽曲を提供し、
それがアルバムに加えられたとすれば、
バカにはできない印税収入を得られたものを。
ジョイントライブだってできた。
X Japanのファンが増えれば増えるほど
知名度が拡散されればされるほど
自身の存在も事業も大きくできたであろうに…
ビジネスセンスは衰えるものだ。

青年時から事業に明け暮れ、
たどり着いた究極の事業は癒やし系ビジネス。
それがいつしか自分のハーレム王国の建設と
その維持のためのオカルト集団の結成に向かった。

胃液にまみれた時計仕掛けのオレンジが
黒い鴉のクチバシの中で転がっている。

(これを食えばお前の寿命と引き替えに
お前の望むものを与えてやろう)

月夜の廃墟にただ独りポツンと取り残され、
ギョロリと光る赤い目玉の鴉がそっと耳打ち囁く。

「俺は俺の王国を手に入れる」
「そのためならば悪魔に魂を売ってやる!!」

オレンジは無味乾燥だった。
最初の罪はほんの些細な気の迷いから生ずる。
凍える我が身を温めるため
心の空虚感を満たすため
欲望とカネによって人間性を闇に染めていく。

もしあなたに神を想う理性と
音楽への献身がわずかでも残っているとするならば、
今からでもいい、彼に謝罪せよ。
そして今まさに洗脳に苦しむすべての人のために
残り少ないその余生を送れ。

慣習と常識にがんじがらめになった無知なる民衆。
不条理の嵐の中で人は愛を叫び、求め、彷徨っている。
解き放つんだ!!

人口爆発のアジア諸国に産まれて生きて暮らす無名の人々。

世界に膨張する幽閉された小さな個の群星が
「俺は俺を生きている」と主張する。

あなたという個体は唯一無二の存在だ。
「あなたがいるから私もいられる」
ただ1人として役割も持たず生まれてきた者はいない。
不要なる人間は皆無だと私がここに断言する。
あなたはあなたとして生きるんだ。

「Say anything」はあなたの内なる声。
その声は歌となり、いつしか合唱に変わる。

統計を打ち壊すX Japanの歌が
今日も地球のどこかで響き渡る。

7月 102018
 

Y氏は(株)トヨタのエースでした。
社内評価は最高で、社長からも表彰され、
企画部門のリーダーを歴任するほどに。

がそんな社畜人生は楽しくなかった。

・朝から晩まで働き詰め
・尊敬できない上司に媚び
・週末は愚痴まみれの自分

何とか自分を変えようとコーチとしての副業を開始する。
期待とは裏腹になかなか売れない現状に焦り、
セミナー、コーチング、MBAなどの知識や資格に
400万円をつぎ込む。

でも結果が出ない。

・無残な結果と情けない自分

あきらめて社畜人生に戻る。

でも何か変化しなければダメだと
トヨタを退職し、ブラザー工業に入社。
そこでも自分を押し殺し、死んだ目をして生きていた。

がそんな時、彼の親友が死んでしまった。
人生をイキイキと生きていた彼が死に、
死人のように生きている自分は生きている。

「自分を粗末にする生き方をしたらダメだ!」
「死んだ親友に申し訳ない!」

一念発起して過去の自分を見つめ洗い直す。

何が悪かったんだろう?

そこで初めてトヨタ流「カイゼン方式」を
自身に当てはめて分析した。
長年のクセが染みこんでいたから
失敗の原因が次第に浮き彫りにできた。

トヨタの若きエースとして
何よりもカイゼンを叩き込まれている彼が
その時になって初めて自身をカイゼンした。

『自分のことは自分で分からない・気がつけない』

当初はブログやFacebookで発信し続ければ
お客さんが来ると思っていた。
集客に注力すればすべて報われると信じて。

がそれは違う。
顧客満足と自身の提供する商品との間の道筋を決め、
それ以外のことに注力してはムダだから止める。
(トヨタはムダが嫌い)
そしてその道筋に至る邪魔な障害物を無くすか避けるか。
それを1個1個克服して、顧客からの感謝を獲得する。

ビジネスはシンプルに考える。
多くの知識や資格があるとかえって、
あれもこれもと訴求力が弱くなる。
たった1つのメッセージだけでいい。

「トヨタメソッドでコンサル、コーチ、セラピストを救おう!!」

彼がトヨタ時代の副業を開始してから
ようやくそれに気がつくのに
苦節3年の月日を経過しなければならなかった。

私はビジネスを志すあなたに訴える。

あなたがやりたいと考えるビジネスで、
すでに利益を上げてニコニコな経営者を探し出し、
その人に会ってお金を払ってアドバイスを受けろ。
お金が無ければその人の書いた本を最低10回読むか、
もしくはセミナーが開催されたと知ったら
仕事を休んでも聞きに行け。

中には嘘つきもいるだろう。
世の中善良な人間ばかりではないから。
ましてやカネが支配するこの世界。
騙されたらいいではないか。
気を取り直して次の人にトライする。

自分で自分を分析できる?

人は痛みと反省からでしか学べない。

「あの時ああしとけばよかったよ」
過ぎ去った時間は取り戻せない。
再挑戦するには歳を取り過ぎてしまったでは
悔やんでも悔やみきれない。
ならば恥を忍んで他人の意見を傾聴しよう。
それは恥でも何でもないのだから。

誤解しないでほしいのは
私はあなたに起業せよと言うつもりはないこと。
他人の会社で懸命に働くのも悪くない。

でもその中で死んでいないか、あなたの心と志は?
トヨタのような世界企業で働いていても
Y氏のような優秀人間をゾンビにするのです。

俺たちは自分を殺すために生きているのではない。
殺されるために働いているのでもない。

まだ見ぬ新しい自分に出会うために
この生を授けられた。
分析を超えた輝かしい存在と1つになるために
この生を背負うことに同意した。

それが神から送られるたった1つのメッセージだ。

7月 012017
 

QBハウスにヘアカットしてもらおうと
愛知県の木曽川イオンに行った。
1階入り口から店内に入ったら
土曜日にしても通常よりも人がいっぱいで
何事かと調べたら
タレントの田原俊彦さんがステージで歌っていた。

http://www.toshihikotahara.com/


このCDの営業活動だと思います。

何もせずにボーとしていても
CD(商品)は売れない。
販促活動は地道な営業で行動するしかない。
(イオン側からの謝礼はほとんどないと思う)

一世を風靡した人物でも
世の移り変わりと共に
瞬く間に過去の人となる。
ひどい場合は朽ち果てていく。

「未来を邪魔する思い出なら捨ててしまえ」
(特に人からされたイヤな事)

人間皆、希望(未来)がなければ死人同然になる。
ついには自殺を決行してしまう。

今回の田原さんの営業を見て感じたのだが、
華やかな世界の住人が
一般層の住まう世界へと下りていくことは
激励そのものではないか。
なぜなら中高年の人が歌に合わせて
手を振り、歓声を上げて喜んでいたから。

とすると2000年前イエス・キリストが生まれたのも
我々への激励のためではなかったか。
神のメッセージを伝えるのと同時に、
地球に生きているすべての民に
神からの感謝とお礼、
それに労いの言葉をもたらしに来たのではないか。
それが福音書の言わんとするすべてだと。

つまり何であれ生きることは尊い行ないであると。

私は庶民と共に生きる。
上でも下でもない自転する地球の上を歩く。
必要とされなくなるその日が来るまで。

12月 162016
 

お金を稼ぐことは難しい。
なぜなら国民の99%が
年収2000万円以下だから。
(1000~1500万円は3%くらい)

1000万円以上の納税をしている法人・個人は
新聞とか公報サイトか何かで
一般公表してもいいのではないか。
(もちろん匿名もありです)

そうすると
「あそこはあんなに納税してるのか」

→すごいな。偉いわ。ありがたいね。
→儲けやがってムカつく。払いのが当然じゃわい。

という真逆の2つの反応が出ると思う。

日本人は前者よりも後者が多いのではないか。
その証拠に最高税率55%がそれを物語っている。

多額の納税をしても恨まれる日本では
資産家は海外に逃亡したくなりますよね。

「どうすれば皆が積極的に納税したくなる国にできるか?」

その方法はない。
なぜなら自分のお金が減って喜ぶ人はいないから。

「資産家や有能な企業家が日本に留まってくれるには?」

タックスヘイブンよりも魅力的な国にすること。

・環境が良い
・治安がいい
・食事がおいしい
・日本人は皆親切
・納税してくれる人を高待遇する
など

まずは誰でもできることから。

「納税者に対して感謝の心を持つこと」

というよりか日本で生きるすべての人に感謝ですね。

それがもっと全国に広がり渡れば
誰もが納税することにもっと積極的になれそうです。

納税ついでに言っておきたいことが。

節税対策で
経費だ、接待費だ、海外移住だ
とああだこうだと時間や労力をつぎ込む総量と、
節税なんか気にせずその分ビジネスに打ち込んで
普通に税金を「はいどうぞ」と払う総量は、
ほぼ同じだと思いますよ。
出ていくものと入ってくるものが違うだけで。
(何か捨て、何か得る)

お金が残るか、健康か、
人間関係が入れ替わるのか、
心の晴れやかさか、忙殺か、
顧客満足が向上するのか、
ビジネスが変化していくか、

あ~あ、生きている限り、悩みは尽きない!!

選択肢はあなたの手中にあります。

9月 132016
 

船原徹雄氏のメルマガにあった。

海外の学校の廊下には
「Risk Taking」
(リスクを取りましょう)
と書かれているそうです。

リスクとは、
「成功するか失敗してしまうのか
行動してみないと判別できないこと」

という定義だとして。

私は人生にはリスクはないと思っている。
なぜなら成功も失敗もないから。

何が成功なの?
何をおいて失敗なの?

それを決めるのはその人自身で
私から言わせればすべて学び。

よってリスクはないがタスクはあると言える。

どんなタスク(仕事)があるのだろう?

読者には申し訳ないが、はっきり言う。

『不幸』が仕事です!!

人間、不幸に陥らないと学べない。
幸福からは学ぼうとしない。
傲慢ですから。

私は2008年にこんなことを書いた。

【人生の幸せは、人生の休憩時間】

人がこの世に生きるということ、
それは苦難の連続ということ。
苦しみを感じていない人は、
意識こそしていないが
何かを求めて
もがいているはずです。

「あぁ幸せだな!」と
思える瞬間が続く時がある。
でもその時間は短いだろう?
だってそれは魂を向上させる
トレーニングでたまってしまった
“疲れ”を取る休憩時間なのですから。
残念ながら短いのです。

人の人生は短い。
その中でより神様に近づくための
トレーニングをしてほしい。
より充実した人生を終えて戻ってきてほしい。
「魂をこれだけきれいにできましたよ」って。

「一難去ってまた一難」
これがこの世の当たり前なのです。

8年前に書いたこれは
今でも変わらない意見です。
でも正直なところ、撤回したい。
なぜなら『多難=幸福』だなんて
イヤ、イヤ、イヤ!! だから。

でも不幸からは逃げられない。
生きている限り。何人たりとも。

リスク回避の思考もムダムダムダだからね。
どれだけ頭脳を巡らせても
この法則は破れない。
神の法則ですから。

肉に産まれ堕ちた我ら魂は
自身の純化向上を目指すために
物質という負荷を身にまとい、
定めた月日を過ごすという決意をした。
そして1つでもカルマの解消を成し遂げて
元いた神の一部へと還っていく。
これが魂の順路誓約だ。

これを一口に言ったら
俺たち皆、マゾヒストだってこと。

ストア派(禁欲)でもエピクロス派(快楽)でもない。

イエス・キリスト者だってこと。
自身に相応しい十字架を背負って
生きていなければならぬということ。

この真実を知ったら皆
センチメンタリストになってしまうよ…

あぁメランコリー。

7月 282015
 

私たちは魂として一つだった。
一つならばあなたと私の間には
何の境界線も城壁もないはずで、
完全に理解を超えた理解が在る。
それは感動そのものだ。

しかし現実は私とあなたは違う。
個性と呼ばれる偏見と差別により、
理解を邪魔する隔絶が厳然と横たわる。
それがこの世界のすべての問題を作り出している。
歴史を調べれば
人は相も変わらず同じように苦しんでいる。
愚かしいばかりだ。

「私たちがなぜ生まれるのか?」

すべては一なる魂を知り会得するため。
理解の果てにたどり着く境地は
偉大なる全という大霊との統合。
それが我らの生きる意味だ。

それに至る方法は単純かつ複雑なもの。
肉として誕生し、
苦楽を味わい、
不足があれば再度生まれ変わる。
これを繰り返すしかない。

知識人は嘆く。
理解はできない、
人と人とは分かり合えない、と。
そう言っている内はまだまだ経験が足りない。
さまざま境遇の下に転生しよう。
いいじゃないか、魂は不滅なのだから。

先人なるイエスは完全に人類を理解した。
人が犯したすべての所業を受け止めた。
なぜなら神は感動そのものであり、
感動は経験からによるものだから。

“悪魔の誘惑”はどんなに苛酷だったろう。
私には耐えられない。
幼い魂である私は発狂するだろう。
まだ近づけてくれるな。

私の内部には神が在る。
あなたの内部にも同じ神が在る。
その神には魂の経験の歴史がすべて治められている。
ならば我らが理解することは十分可能ではないか。
というよりも
そうあらねばならないのだ。

3月 132015
 

RPGとは、ロールプレイングゲームの略です。
このゲームの特徴は
スタートとゴールが設定されており、
ストーリーの最中に出くわすイベントなどを
順序良く進めていくと
最後のエンディングを迎えられるというものです。
お決まりのパターンは
“勇者が怪物と闘いながらお姫様を助けに行く”
のが一般でしょう。

人は自分の過去を思う時、
「あの時何であんなことをしたのだろう?」
「どうしてその時あれを思い切ってしなかったのだろう?」
などと反省や後悔をしてしまうことがある。

果ては「あの頃に戻ってやり直したいよ」とまで思う。

でもな、未来がこうなると知っての選択ならば、
そんなものに何の感動があると言うのだ?

進んだ先に何が待っているのか分かってしまうのならば、
人生を生きる温度が冷めてしまわないか?

それを考えるとこの疑問が氷解する。

「なぜ我々の過去世での記憶がないのか?」
(まれに分かる人もいる)

すべては我々に感動を得させたいがための神の配慮。
(それを寛大に汲み取れるほど私は立派ではないが)

それにね、
過去世が分かったら通常人はたまげて死んじゃうよ。

「俺って、こんな卑劣な悪行をしたのかよ」
「私って、何て自棄で我がままな人間だったんだろ」

生ぬるく生きたら人間どうなるかって
過去世を繰り返しするだけじゃないかな。

人の一生は過去を悔やむためのものでなく、
新しい時を刻んでいくこの瞬間と共に
経験と感動を味わいながら
神という永遠なる至福の存在へと至る道程。

旅の仲間(同志)を集めたり、
モンスターを倒してレベルアップしたり、
お金を集めて武器や防具を買ったり、
町人に話を聞いてヒントを得たり、
困った人の依頼を引き受けたり、
課題を1つずつクリアしていって、
最後の難関ラスボスを倒してエンディングを迎える。

まあさすがに僕らの人生にラスボスはいませんが、
解脱という最終ステージを終えたらエンディングがある。

人生を生きれば経験値が貯まって、レベルアップするのは同じ。

ワクワク・ドキドキ・ハラハラとするこの人生を
RPGゲームのように楽しんで生きていくことができたら、
みんな今よりももっと積極的にレベルアップを心がけると思う。

人生のモンスターに遭遇するのも楽しめると思う。

11月 092014
 

私がヒカル氏のことを知ったのはYoutubeです。
彼はYoutubeに広告を出したが
(その広告動画を見た)
それほどの効果は得られなかったという文章を読んで、
私は広告については否定的な意見になった1つです。

http://hikaru0918.info/

今の彼のブログは1年前とだいぶ変わって
(初期は情報商材の評価をしていた)
ビジネスの話は途切れ、
Youtubeにおいてゲームとトークで自己表現しているようです。
(それほど興味はない)

私は1年くらい前に
女の子の自殺についての彼の動画を見たが、
削除したみたいですね。
重いテーマから逃げたのでしょう。

私は彼に言う
「現実から逃げてはいけない」と。

『生と死』という人類が抱える謎は
避けて通れない永遠のテーマです。
生きていれば必ず付き付けられてくる
逃げ道のない実存の“痛み”です。

人は死す。
生まれたからには死なねばならない。
その宿命を皆が等しく背負う。

あなたは“死ぬ覚悟”ができていますか?

そして私は若者たちに言う
「死する時まで生きていく勇気がありますか?」と。

誰が何と言おうと
生きることは苦役です。
心を有する普通の人間であるならば
悲哀に遭遇し涙を流すことも多いでしょう。

ところで今私が書いた過去記事を思い出した。

(以下抜粋)

タイトル:死に急ぐ若者たちよ、「死ぬな、1秒1秒を生き残れ!!」

先進国では人口当たりの自殺者が日本が一番多いらしい。
(つまり自殺率が高い)

若者の自殺が後を絶たないのは本当に悲しい。
高齢化日本では中年の自殺も聞かれるようになった。

困難が目の前に立ちふさがった時、
「逃げたっていいんだよ」

死なない限りまた『克服』の機会もあるのだから。

「生きよ、そして苦しむことを恥じるな!!」
「カッコ悪くたって、ぶざまな生き様だって、生きることは燃焼なんだ!!」

燃えカスになるまで生き切ろうよ。

(ここまで)

私は自分の言葉で自分を奮い立たせる時がある。
「俺が書いたんだから責任を持たないとな」って。

ヒカルさん、目をそらさず挑んでみよ!!
生死が何たるか理解するまで生きてみよ!!

Youtube動画でのあなたの変わった姿を
心待ちにしています。