8月 162014
 

あなたはどんな人間にでもなれる。
何だってできるようになる。
意志意欲で何なりとも。
あなたは神だから。
(地球を逆回転だってさせられる。スーパーマンのように)

悪の限りさえも尽くすことができる。
悪の支配者になって
この世界を統治することだって可能だ。
自由を与えられた神なのだから。

同時にカルマも与えられている。
それは努力が無駄にならないことを証明する。
まことにありがたいことだ。

神とは何だろうか?

無限の力があふれる光よりも美しい存在。
愛なのです。

その愛は私たちに何を求めているのか?

『一つで在りなさい』と。

一であることを学ぶために
あらゆる人生にさまざまな苦難を与え、
そこから感動を汲み取れるように配慮された。

我々は配慮ある人生を生かされている、
愛された存在だと言える。

誰ひとりとして愛されていないなど無い。

それならば愛される価値として
この世界を生きなければならない。

「私は愛に相応しいのだろうか?」

相応しくなるように生きなさい。
イエスのように。

2月 202014
 

生放映の動画です。

反政府デモ隊と治安部隊が衝突。
銃による死傷者も出てしまった。

キエフの中心地で働いている知人の青年には
実家のドニエツクに帰るようにアドバイスしておいたがどうなのか。

下の写真を見ると
関係のない一般人まで被害が出ている。

国家の幸福を想うのならば、なぜ銃を持つ?

「剣を取る者は剣によって滅ぼされる」とイエスは言った。

『他者への理解は至難の道』

何回も生まれ変わって気づく時が来ることを祈ろう。

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1月 032014
 

「私は来世でいい思いがしたい」
「だから現世では慎ましやかに生きるんだ」

来世があると信じることができるのは、
魂は不滅であるということを信じているからに他ならない。
なぜ来世があるのかが分かる人は、
カルマ(因果応報)を信じるに至る。

カルマを信じれば信じるほどその威力に圧倒される。
カルマは絶対だからである。

カルマには正と負のカルマがあり、
それはコインの裏表であり、一体となっている。

カルマが怖い人は負のカルマが怖いのだろう。

「負がなければ正はない」

あなたは負のカルマを背負わなければいけない。
正のカルマこそがすべてなのだと思い込んではいけない。
負は正になり、正は更なる負への挑戦である。

イエスは十字架から逃げなかったではないか。

1月 012014
 

斎藤一人氏は「悟りとは、差を取ることだ」と言う。

私たちの心には真我という魂がある。
魂は神であり、神とは絶えず感動を求めている至福という存在である。
我々がこの世界を懸命に生きるのは、すべては経験を通じて感動を得るがため。
(経験がなければ感動はない)
感動の集合体こそが神の本質であると言える。

「その感動とは一体何なのか?」

感動とは、他者の経験を自己の内に見出すこと。

なぜならば自己の内に他者の苦楽を自覚できるということは、
感動(経験)の集合体である神を自覚したことになる。
(「神に近づけたよ!!」 これが感動)
その自覚を悟りと言う。

「皆さんにはこれが分かるだろうか?」

我々の魂は感動のかたまりなのだから、
他者の感動が自分の心で明瞭に理解できるということは、
神との合一に近づいたということに他ならない。

『経験―理解―感動―悟り』

この連鎖が人生の意味であり、理解ができなければ輪廻転生し続けなければならない。

【結論】

★悟りとは、他人になること・他人であること。

最終的にすべての他人になることができれば、解脱できる。

それを成就した人がいる。
イエス・キリストだ。

9月 202013
 

我々がこの世に生まれ堕ちた理由は
己のカルマを解消するため=欲や執着心から解放するためである。
(要するに未熟な神の落第生だから)

ではなぜイエス・キリストのような愛そのものを生きた人が
この世に生まれなければならなかったのか?
どんなカルマがあって堕天したのだろうか?

私の初代ブログにはこんなことを書いたのを思い出した。
今読んでちょっとビックリ。(2008年4月にか)
http://plaza.rakuten.co.jp/nakynaky1616/diary/200804050008/

『イエスキリストは卒業の喜びを伝えたかっただけ』

イエスキリストになる前のイエスの魂は
この世でのカルマをすべて解消して
卒業資格を得られました。
つまり「この世という試練」を終えた人です。
仏教では“解脱者”と言いますね。

しかし我々の“先輩”であるイエスの魂でも
一つだけ未練がありました。
『人類にこの卒業の素晴らしさを教えたい!!』
イエスの魂は卒業したのにも関わらず、
(生まれ変わることをしなくてもいいのに)
もう一度イエスという人間の身体に己の魂を入れ(受肉)ました。

僕らの魂はもともとは神様(天国)の一部。
それが“我”を持ったばかりに
天国から追放(堕天)されました。
“我”が最初に地球に来た時、
物質をもてあそぶことに快楽を覚えました。
物質から物質に乗り移り(生まれ変わり)
次第に物質と魂がもつれ合ってしまいました。
つまり執着してしまったということです。

天国に戻るために“我”を無くさなくてはいけません。
そのための試練の場がこの世です。
この世に現れるということは
この世の物質界のルールに従わなくてはいけません。
僕らもそうですが、
イエスの魂も例外ではなく
物質の呪縛に囚われます。
これは大変危険なことです。
もう一度、物質と魂とがもつれ合うという
危険性をはらんでいますから。

この危険を冒してまでも
イエスの魂は“卒業”の素晴らしさを教えたかったのです。

僕らの先輩、イエスキリスト様
「僕が卒業できるまでに
あと何回生まれ変わらなくてはいけないのですか?」
その道は険しいのです。

この記事ではどうしてそんなにまで卒業の素晴らしさを
イエスは教えたかったのかの理由を書いていない。
が今の私には推測できる。(推測に過ぎませんよ)
イエスがこの世で何を修行しなければならなかったのか。
何の執着心があってこの世に降り立つ決心をしたのか。
反省があるのです。
後悔があるのです。

それは『神の真理』を一部の理解ある人間にしか教えなかったという後悔があったからです。
イエス・キリストの説く『博愛の思想』はこのことへの反省なのです。

仲間内だけで愉しんでどうなる!?
すべての人が神だっていうのに。
神は俺たちだけのものではないんだ!!
教えなければ!!
布教したい!!
頼む、もう一度地上へと生まれ変わらせてくれ!!

イエスのこの決意。大いなる決心。
これがもし無かったのだとしたら…
私たちの歴史は暗黒時代のままだったかもしれない。

12月 272011
 

「俺は外で稼ぐ、お前は内で家事育児に専念しろ!!」

こう言って女性を家に閉じ込めようとする。
まるで男は刑務官、女は囚人であるかのように。

閉じ込められた女性は狭い世界の中で
健気に慎ましく生きていこうとする。
ただただ刑務官の言いなりになって
自立心を殺し『家庭』の奴隷となっていく。

≪妻を奴隷にしてはならない≫

「奴隷なんかがどんな子供に育てられるの?」
「何もできない子供にさせる気か?」
「人の言いなりで、何もしない何もできない子に!?」

『男たちよ、よく聞いてくれ!!』

子供を立派な成人にしたいならば、
まず女性たちを立派に教育してほしい。
その女性の子がまず手本にするのが
そばにいる母親なのだから。
(男の子も女の子もまず母親のマネをする)

『母親になろうはずの女性たちを教育する』

女性に対してこそ豊かな教育が必要なのです。
これまでの世界史は女性に知識を持つことを拒んだ。
なぜなら女性が知識を持ったらなら、
低能な男たちの立場が悪くなるから。
嫉妬深い男たちが女たちをガンジガラメにしたのです。

『その呪縛から解放せよ!! 解放させよ!!』
誰が?
志を持った女たちしかいない!!
男では融通が利かない。
女がひどい目にあっているのは
キリスト時代から2000年経っても変わっていないでしょう?
男が作った歴史が証明している、男ではダメだってことを。
(HistoryとはHis Story「彼の」物語の略)
(彼女のではない。「男女の」にすればいいものを)
男ではダメだ!!
女でしか…。
イエス・キリストのような高い志を持ったフェミニストでしか…。
(イエスは男だが男ではない。人間でもない)
(神の化身としか言いようがない)

よし、そうと分かればこの本を読んでみてほしい。
解りやすいから。


『女は愛でバカになる』 田嶋陽子著 集英社be文庫

僕にできることは何でもするが、所詮僕も男です。
女性を真に理解することはできないかもしれない。

男でも女でもない『新人類』になること。

新人類こそが、
牢獄の中の女性を脱獄させる、
解放させる、
自由を勝ち取ってくれる。

イエスもユダヤ教の呪縛で苦しむ民衆を解放した。
それと同じく。

12月 192011
 

「私のことが好きならブランドバッグ買ってくれるでしょ!?」
「愛があるならどんなことでも聞いてくれるでしょ!?」
「たとえ人を殺してと言われても…」
「私への愛が本物かどうか、証拠見せてよ!?」

人の心は移ろいやすい。
よって愛情もまた冷めていくものだ。
だから不安にかられてしまう。
でもそれは違う!! 全然分かっていないよ。
冷める愛なら愛とは言わない。
『本物の愛は永遠不変の愛』だ。
変わる愛、それすなわち欲望という。

人間が人間を試す愛・試される愛
すなわち欲望ぶつけ合い
残るものといえば憎悪、後悔、未練ぐらいだろう。

イエスは言う神(=愛)を試みてはいけないと。

もしあなたの愛が本物だと思うならそれはそれでいいではないか。
たとえ相手に変わらぬ愛が無かったとしても、
愛したあなたの経験そのものが、
愛に見合うだけのあなたを作り上げたのだからね。