10月 132013
 

男性は女性を顔とスタイルで判断しがちですし、
女性は男性をファッションで判断します。
会社は履歴書(経歴)をまず見ますし、
高級車やブランド品に囲まれた生活をしている人を人は羨みます。

私が残念だと思うのは
「みんな『魂・本質』を見ようとしないんだ」ということ。

もし赤の他人からその人しか分からないことを言い当てたら
「何で知ってるの?」と驚くだろう。好意の目で。

江原啓之氏が行なっているという「シッティング」は、
「事前情報を得ないまま霊視を行なう」というものである。

私はこの力を身につけたいと思っています。

その人が何に困っているのか、
何をしたいと考えているのか、
どうありたいと願っているのか、
どうすればそれを達成できるのか、

それを本人より先に分かってあげる。

『理解こそ愛の第一歩』

私も江原氏さんのように霊能力者にならなければいけないのかもしれない。
彼は「皆が霊能者であり、霊能者が必要とされない世界」を希望していますが、
そこに至るまでは長い時間が必要になる。
今は悠長なことは言ってられない危急の時代。
私は何ができるのかな。
とりあえず彼の応援くらいは。

10月 072013
 

中村うさぎさんの下記の記事を読んで言わせて頂きます。

あ、そうそう。 臨死体験って、よく言われるよね?
大きな光が迎えにきた!とか、
川の向こうのお花畑で死んだおばあちゃんが「帰れ!」って言ったとか、
いろいろ言うけど、あれ全部ウソよ。

2回も臨死体験したあたしに言わせればね、
死ぬって事は、コンピューターやモニターの電源を切るのと同じ。
消した途端にブラックアウト。
残念でしたー。

中村さんの公式サイト http://nakamurausagi.com/

死んだらすべては無・闇・ゼロになると思っている人は多いようだ。
これは正しくはない。
なぜなら無から生まれて無に戻るとするならば、
その中間に位置している「人生」もまた無ではないか。
おかしくないかい? 俺たちこうして生きているのに。

それならなぜ臨死体験をする人とそうではない人がいるのかと言うと、
これは江原さんや美輪さんには霊が視えるけど
僕らには霊が視えないのと似ていて、
まだそのステージに登っていないからなんです。
ステージを上げればすべては理解できるようになる。

ではなぜステージがあるのかという理由を説明すると、
自分と合わないステージに立たされると魂がついていけないからです。
いきなり江戸時代の人が宇宙の無重力を体験するとパニックに陥って失神するかもしれない。
それと同じです。
だから徐々に“慣れる”という体験を積み重ねなければいけないようになっているのです。

ついでになぜステージという階層が分かれてしまっているかと言うと、
過去世からの経験の有無・経験の濃度に差があるからなのです。
これは誰でも努力によってステージを上げることができ、
霊的能力を獲得(知覚)できるということを意味します。

霊的世界の存在はほんとに分かりづらい。
それは私も認めます。
でももしすんなりとそれを理解できたとしたら
あなたは深い感動を味わうことができるでしょうか?
感動を得ることが人生を生きる意味なのに。

例えば、簡単に
・お金が儲かったら浪費して逆に身を持ち崩してしまう。
・魅力的な異性をゲットしたらその人を大切にしなくなる。
・病気が治ったら健康な体に感謝しない。

『霊的世界は感動そのまんま』

それを理解するのも1つの感動。
でもそこに至るまではしんどくて辛いよ。(私の経験則から)

皆さんにもいつかこの感動を味わってほしいと思います。
というより遅かれ早かれそうなる。

9月 292013
 

『類魂の法則』を私なりに説明してみる。

類魂(“私”という集団グループ)から
“私”の一部が分離してこの物質世界に降り立ち(転生)、
多くの経験と感動を積んで再び類魂に帰る。(人生の目的)

時代(時間)が変われば環境が変わる。
時には戦争の最中に、時には平和な国に、
貧しい国や気候の厳しい土地に生まれ変わって
さまざまな経験をし、その経験から得られる感動を魂に刻む。

もし今日本人である私(山田直樹)が日本人として転生せず、
インドのカーストの貧しい地域で生まれたら私は今の私でいられただろうか。
違う人格を形成されたことと思う。
霊魂を語っている余裕が持てるとは思えない。

霊魂(主体)としての“私”は同じだが、環境が変われば人格が変わる。
つまり経験が違えば、何人もの“私”が出来上がるということです。
それは“別人”なのだとみなしてもそれほど間違ってはいない。

江原氏と昌清之命は、
異なる時代に生まれ、違った経験をした同じ魂であるという別人。

昌清さんが江原さんに「ぬしの人生はぬしが決めろ」と諭すのはそういうことだろう。

ところで実は、“私”は今この瞬間において、1人しかいないのではない。
「自分と同じ人間がこの世には3人いる」というのを聞いたことがあるかな。

世界人口60億人以上もいるのですからその中に、
もう1人の“私”が頑張って異なる経験をしてくれてもいいはずだ。
山田直樹という名前ではないもう1人の私。
ほぼ会うことはないだろうが、どんな体験をしているのか時々考えてしまう。
まあ魂の故郷に帰還すれば分かち合うことになりますが。

読者の皆さんともいつかは魂での交流(一体化)を実現させたいですよね。
そんな類魂仲間になれる日が来ることを信じて毎日経験・経験。

9月 292013
 

1964年生まれで
1989年に『スピリチュアリズム研究所』を設立までに
おおよそ24年かかっている。
Wikiを参照)
つまり24歳まで「スピリチュアリズムを世に広めたい」という気持ちは
まだ確立していなかったことになる。

4歳の時に父を薬害で亡くし
15歳の時には母が亡くなり
16歳の時に姉が嫁いだので
その時から孤独な青春期を送ることになる。
同級生には親や兄弟姉妹がいて自分を待ってくれる家があるのに、
江原氏はただ独り。
(カギっ子でさえ幸福と言えるでしょう)
18歳からはいよいよ心霊現象に悩まされ、
孤独と貧困の内で暗い夜を幾度と過ごす。

私は、なぜ霊なる存在を身近に感じ取ることができる江原さんが、
24歳になるまでこれほど紆余曲折を経て「霊的真理」にやっと目覚めたのか不思議です。
彼には霊が見えるのですよ。
私たちには見えない霊が見える。

Seeing is Believing.(見ることは信ずることである)

霊が見える=霊が存在する⇒霊には目的がある⇒霊的世界は在る=死んでも無にならない

私の青春時代のすべてを責め苛まれた大いなる人生の疑問
「死とは無なのではないか」という苦悩。
それが彼には無かった。
代わりに孤独、貧困、心霊現象、失恋、病気(少年時代にはアトピーにも悩んだ)があったが。
(一時は自殺騒ぎを起こしている)

なぜ江原氏は霊能力があるのにこれほどの苦難を得なければならなかったのか?

答え:素直でなかったから。
人の現世的欲望が素直な心を曇らせるから。
(私もそれは例外ではなく、欲望まみれの人間です)

私は欲望を否定しない。
「人間である」とは「欲望に汚されている」ということを理解しているからだ。

もし江原さんが素直に浮遊霊の存在を受け入れ、
自分の霊能力(オーラや守護霊の霊視)の目的を素直に追求すれば、
これほど悩むことはなかった。
「他の人にはない力がなぜ私にあるのか?」と真摯に向き合えば。

ではなぜ神から霊能力を与えられた江原さんは素直になれなかったのか?

答え:彼の周りに理解者が一人もいなかったから。

彼は苦悶時代に「人は不公平である。神も不平等である」と嘆いていたそうである。
『シルバーバーチの霊訓』という本を読んでその誤解が解ける)

彼に霊なる世界が解説された書物を紹介する人がそばにいたならば、
エドガー・ケイシールドルフ・シュタイナーなど)
きっともっとスムーズに信仰という階段を登ることができたはずだ。

どうしてそのような人がいなかったのか?
『カルマの法則』だと思う。
彼の指導霊である昌清之命は地位も名誉も家庭も捨てた「世捨て人」だった。
孤高を愛する人であったと思う。
それが起因していると私は推測しています。
(人の心は弱くて移りやすい。そんなものに頼ってはダメだという思い込み)
要するに『類魂の法則』とは因果応報の共同責任なのです。
昌清さんのカルマが江原さんの人生に表れているという。
(善きことも悪しきこともすべて自身に返報してきます)

「昌清さん=江原さん」?

この『類魂の法則』については次に書く。

9月 072013
 

セミナーだか講演会だかは区別がつきませんが、
江原さんは大きな会場にて人を集めて「スピリチュアリズム」を有料にて布教している。
(1講座5000円程度)
東京・大阪の2大都市で開催され、地方への布教はそんなにしてない。

ちなみに瀬戸内寂聴さんの法話は500円らしい。

http://www.jakuan.com/jkan/howa.html

「スピリチュアリズム」を普及させるのが
江原氏の使命(ライフワーク)なのだということを
彼の著作から私は分かっている。
ですがこの大不況日本で5000円+交通費(地方からなら宿泊費もプラス)は財布にきつい。

しかも「お客からお金を頂いたら自分の言いたいことが思い切り言えない」という心情が起きてくる。
そこで及び腰になったら「なぁ~んだ、そんなもんか、スピリチュアリズムは」という反応が出る。

「ハートに響かないんだよ、商売丸出しの講演じゃ!!」
(熱くなれないのなら止めろ)

だがそこで私にはいい解決策がある。

YoutubeやUstreamという動画配信サービスを利用すること。
Ustreamのことはよく分かりませんが、
Youtubeはタダで利用できる。
タダ、誰でも利用できてタダ。
スゴくないですか?
しかも収益化プログラムに入れば広告収入が得られる。
(これがバカにならない)

http://www.ustream.tv/

http://www.marketingtornado.co.jp/eazy-ustream.pdf←ユーストリームのマニュアル

江原氏が若い頃、貧乏でひもじい思いをされていたので、
お金のない時の苦労・苦痛を身に染みて分かっている。
しかも奥さんとお子さん2人を養わないといけないので収入を確保しないといけない。
私は霊能者がお金を儲けることについては否定しません。
経済社会だからです。

ですが「スピリチュアリズム」の布教という命を懸けてでもしなければいけない信念がある時、
私はそれを第一命題として、お金のことを考えてはならないと思うのです。
所得が減りつつある日本で、貧しき人にも「救いの教え」を与え続けること。

医者が必要なのは健康な人ですか? 病気の人ですか?

Youtubeというありがたい文明のツールを大いに利用するのは
人間の叡智のリスペクトになる。

Youtubeならテレビ放映では言えないことでも、思いっきり言えますよ。
どうでしょうか?

9月 052013
 

http://premium.yahoo.co.jp/info/qr.html?pcode=TP151

上は江原さんのサイトになります。(一番下の写真参照)

オーラカラー診断なんて下らねえよ。
オーラの色なんか知らなくても『魂の声』を聴けばいいの。
それ以前に感情という信号も参考になるの。
まあそれは置いといて。

だがこれは江原氏の「スピリチュアリズム」を浸透させるための戦略の1つなのです。
私はそれをとがめはしません。
若い女性が好みそうなデザインや内容でまず「スピリチュアリズム」というのものを盤石なものにさせる。
(テレビでの普及では中断を余儀なくされた。このままでは忘却される。マズイぞ)
そしてその子供へと波及させ、孫に感化されて祖父母へと。
それから成人男性に訴えかける。

だがこんなことではダメなんだ。
埒が明かない。
自身が出演していたこの動画の7分頃からを見てほしい。
(私はビートたけしの「超常現象対決」という番組を思い出した)

ドリス・コリンズという女性は江原さんの恩師らしい。
彼女はきつそうな女性に詐欺呼ばわりされても動じていません。

江原さんもテレビで大槻教授と戦ってみますか?
勝ったら「スピリチュアリズム」は日本で広く認知されますよ。
相当な強敵ですが。

スマホ 江原ワールドスピリチュアルナンバー←毎日毎日が反省の連続で、疲れた自分を癒す日なのです。
ありきたりでこれでは占いと変わりません。

9月 032013
 

『人は必ず死す』

自我に目覚め、身近な命の死を目にしたら
誰でも必ず認識する。

「俺もいつか死ぬんだ」なと。

ではなぜ人は平等に訪れる『死』という尊厳あるテーマに触れずに、
お金だの、美貌など、健康などという現世の快楽を追求し日々を生きるのか?

結局死のことは分からない、
どう考えても答えが出ない、
ならば死は自分には関係無いものとして生きた方が得だ、ということだろう。

でも死は耳に入ってくる。
テレビニュースや新聞、インターネットからどこかで誰かが死んでいるのを否応がなしに知らされる。
それでも人は現世での幸福を手に入れようとガムシャラになっている。

どうして人はそうであるのか?

それは
『死というのは無ではなく、絶対の有である何かがある』
ということを魂が知っているからである。
人は死のことは分からないと思っているが、
魂はすでに脳に働きをかけて
「死は無ではない。魂は不滅であるから」
ということを人の心に内在化させているのである。
だから人が死ぬ時には穏やかに死んでいくのである。

※ただしここで例外がある。
この物質界に執着があると未練を残す。
江原氏はその魂(霊魂)は浮遊霊になってしまい気の毒としている。
皆さんには悔いのない人生を歩んでもらいたいと思う。

我々は『不滅の魂』のことを知っている。
が自覚のないままに生きている。
もしこれを精神の上に顕在化させた時、
大いなる目覚めが新たな人生の扉を開く。

江原氏が人生を懸けて達成したいのはこれである。
もしそれが失敗に終わればどうなるのだろうか?
この文明は1回終わるのかもしれない。
そうなる前にも…

9月 032013
 

若き日に江原氏は「霊なる真理を伝える霊界の道具になる!!」と決意された。
その決意は今でもたゆまず啓蒙のご活動を続けていらっしゃることから変わっていない。
だけどね、
「霊能者は霊界の道具」だとして、
自分という神を道具だとみなしてはいけないと思いますよ。
霊能者であっても人間という神であるからして、
「神=道具」だなんてめっそうもないことです。
道具ならば使用者は誰なのか?
神ですか?
神は神のことを道具だとは思ってませんよ。
同胞であると。

『霊界の使者(メッセンジャー)』になればいいのです。
イエス・キリストのように。

もしそうなれば磔刑ですら…

9月 032013
 

私のレビューです。

「人生とは苦難への感謝」ってことは…

それって
「不幸よ、ウェルカム」ってことだろ?
「不幸でいることは人生そのものなんだ」ということだろ?

それってキツくねぇか?

私は現世利益が大好きです。

皆さんも来世利益もいいですが、現世利益も追及していいのです!!

しましょう!!!

苦難への感謝なんてなかなか凡人には無理っぽい。
あなたにそれができるの?

それにしたって

【この薄汚れた欲望まみれの世界に生きること】

つらいことじゃがな、生きることじゃて。昌清さんはそう語る。

『生きてもがいて苦しんで、感謝へと至る』

現世利益も時には味わってみましょうよ、ご褒美に。
バチが当たったら当たったでいいのです。
カルマを恐れず、やりたいことをやってみる。
人に迷惑をかけたら、応報が来る。
そこでまた学び取ればいいのです。

人生とは学びなのですから。

8月 192013
 

我々は生きている。
死にたくないから生きているのか、
死がまだ来ないから生きているのか、
中途半端に生きている人が多いように思う。
つまり生きる意味が分かっていない状態のまま漠然と生きているという。

江原啓之氏(昌清の霊)が言うように
「道行く人の表情は皆死人の顔じゃ」
それは『自覚』のないまま生きているということを嘆いているセリフだろう。

なぜ我々は生きるのか?
生きたいという思いはなぜあるのか?

この世を生きなければ自分の魂を磨けないという法則があるからである。
あの世という霊的世界では成すことのできない魂の練磨。
それをこの世では「させて頂ける」のである。
ありがたいことである。

肉体という負荷を背負わなければ魂を向上させることはできない。
人の欲望の写し絵であるこの世にあって、
肉体と共に生きることは何とも苦しい。
その経験は魂に付着する“垢”をふるい落とさせる。
それしか方法がない。

垢はアカンよ。

「生きねばならぬ」=「垢を洗い清めねばならぬ」

魂がそう願うから、我らは生きたいのである。

「苦しかろうがな、それを乗り越えた時に感動が生ずるものじゃて。いと励めよ」

求めよ、そして成し得よ。
霊なる魂の命ずるままに。